toggle
Glycoscience
2016-11-06

Journal Club 160921

Schizophrenia patient-derived olfactory neurosphere-derived cells do not respond to extracellular reelin

npj Schizophrenia (2016) 2, Article number: 16027

大変遅くなってしまいましたが、9月21日の教室セミナーで D3 の志田さんが紹介した文献の内容を掲載します。

最近、新しく創刊された Nature sister journal からの報告です。それにしても、Nature は次々とシスタージャーナルを発行してきます。これらの Open Journal の掲載料はびっくりするくらい高いそうですが、”Nature” という冠はお金を払ってでも入手したいと思う研究者が多いのかもしれません。分野外の人に自分の研究をアピールする時の名刺代わりになりますから。こんなに次々と細分化した専門雑誌を発行するのなら、そろそろ Nature Glycobiology もつくってほしいもんです…(by 北川先生)。

さて、論文タイトルの Schizophrenia という難しい専門用語は、「統合失調症」という病名を表しています。この疾患は芸術家や小説家に多い病気だと言われているそうです。有名なところでは、ムンクというノルウェーの画家が統合失調症を患っていたと言われています。彼の描いた「叫び」という絵から、統合失調症様の精神世界を垣間見ることができます。

まず、左の写真を見てください。夕暮れ時のノルウェー・オスロの町の風景です。

美しく感じる人もいるでしょうし、ありふれた日常の風景と捉える人もいるでしょう。感じ方はいろいろかもしれませんが、この風景を見て、恐怖におののく人はいないのではないでしょうか。ところが、右側の「叫び」の絵の中の人物は、この夕景を背に耳を塞いで立ち尽くしています。この人物、実はムンク自身だと言われています。なぜ、ムンクは恐怖に全身をくねらせながら耳を塞いでいるのでしょうか?

ノルウェー・オスロの夕景

ノルウェー・オスロの夕景

ムンクの「叫び」

ムンクの「叫び」

ムンクの日記には下記のような記述があります。

”私は2人の友人と歩道を歩いていた。太陽は沈みかけていた。

突然、空が血のように赤くなった。そして見たのだ。燃えるような雲が、群青色をした町の上に血のように剣のようにかかっているのを。それは炎の舌と血とが、青黒いフィヨルドと町並みにかぶるようであった。

私は立ち止まり、ひどい疲れを感じて柵に寄りかかった。

友人たちは歩み去っていくが、私はそこに立ち尽くしたまま不安に震え、恐怖に慄き、戦っていた。

そして、聞いた。「大きな果てしない叫び」が自然を貫いていくのを。”

私たちは脳を介して世界を認知しています。同じ場所、同じ時間に、同じ景色を共有していても、それぞれの人が体験している世界は脳が作り上げたものです。ムンクの友人たちにとっては、美しいけれど何の変哲もない日常の夕景なのでしょうが、同じ風景の中でムンクは”世界の終わり”を体験しています。ムンクにとっては「叫び」に描かれた世界こそがリアルワールドなのです。絵の中のムンクは、大地を揺るがすような叫びをリアルに聞いていたからこそ、耳を覆っているのです。

ムンクのように、世界が終わってしまうかもしれないという妄想に囚われ、不安に駆られるという心的状況が統合失調症の発症前や初期に特徴的だと言われています。統合失調症を患った方の精神世界はどのような分子機構で作られるのでしょうか(あるいは、私たちは、どのようにして、世界を認知しているのでしょうか)?

多くの研究者が、この問題を解こうとしています。今回紹介する文献も、この問題に挑んでいます。

著者らは、Reelin (リーリン) という分子に注目しています。Reelin 遺伝子は、 Reeler (リーラー) マウスと呼ばれる自然発症の神経奇形マウスの原因遺伝子として同定されました。このマウスは歩行時によろめいて (reel)、まるで千鳥足 (reeling gait) のような歩き方をするため、Reeler マウスと名付けられています。リーラーマウスは、小脳が非常に小さく、大脳皮質は奇妙な構造をもっています。大脳皮質は6層からなっており、正常では脳の表面から奥に向かって第1層 (L1) から第6層 (L6) と配置しています(図1)。ところが、リーラーマウスでは、図1に示したように層の並びが逆転しています。大脳皮質の神経細胞は脳の奥底(図1の下側)で生まれますが、早く生まれたものほど脳の奥に位置し、遅く生まれた細胞は先に生まれた細胞を追い越して脳の表面(図1の上側)に向かいます。Reelin 遺伝子は Reelin (リーリン) と呼ばれる巨大なタンパク質をコードしており、大脳皮質では第1層 (L1) のカハール・レチウス細胞(図1の L1 の紫の細胞)が分泌しています。表層から Reelin を分泌して、奥底で生まれた神経細胞に表層に向かって移動するよう指示していることが想像されますが、詳細は不明です。リーラーマウスのカハール・レチウス細胞はリーリンをつくっていないため(図1の L1 の白色の細胞)、細胞移動に異常が生じ、大脳皮質の層構造の形成異常が起こります。ヒトにおける胎児期の神経細胞移動の異常は先天性の脳発達障害を引き起こし、特に、シワのない脳が特徴的な「滑脳症」と呼ばれる病気の原因となるようです。この病気は、精神遅滞・てんかん発作・筋痙縮などの症状を示します。

reeler-brain-structure

図1 野生型マウスとリーラーマウスの大脳皮質の層構造 参考:Nature Reviews Neuroscience (2015) 16, 133–146

さて、Reelin と統合失調症についてですが、リーラーマウスが統合失調症とよく似た症状を示すこと、統合失調症の患者の脳で Reelin 遺伝子がメチル化され働けなくなっていること、バルプロ酸ナトリウムの投与によって Reelin 遺伝子が再び働くようにしてやると症状が改善されること、統合失調症に関連した Reelin 遺伝子上の一塩基多型 (SNPs) が見つかってきていることなどから、Reelin の発現異常が統合失調症の一因である可能性が示唆されています。また、Reelin は胎児期の神経発生の過程で働きますが、生後においても嗅覚を司る”嗅球”や記憶を司る”海馬”の歯状回で発現が認められており、これらの領域の Reelin の発現異常が統合失調症の病態と何らかの関連があると考えられています。統合失調症と Reelin の関連は示されていますが、患者の大脳皮質でリーラーマウスのような層構造の逆転が見られるわけではないので、Reelin がどのように統合失調症の発症に関わっているのかは不明です。

本論文では、健常者と患者の嗅球神経細胞の Reelin の発現量や Reelin に応答した細胞の運動能を調べています。

これまでの報告通り、患者の嗅球神経細胞がつくる Reelin の量は健常者よりもやや少ない傾向を示しました。次に、Reelin による刺激に対する応答性を調べました。細胞をプラスチックディシュに播くと、お皿の中を動き回りますが、この動きが健常者より患者の方が悪いようです。また、お皿の中に Reelin を添加すると、健常者の神経細胞の動きはゆっくりになりますが、患者の神経細胞の動きは変わりません。患者の細胞が Reelin に対して応答が悪いのは、Reelin 受容体 (ApoER2 や VLDLR) (図2) の発現レベルが低下しているからなのではないかと考え、これらの発現を調べていますが、有意な差は認められませんでした。次に、シグナル伝達経路を構成する分子に異常があるのでは?と考え、Reelin のシグナル伝達に必須の分子 Dab1 (図2) の発現や Dab1 のリン酸化レベルについても調べていますが、健常者と患者で変化はありませんでした。患者の細胞は Reelin に対する応答が悪いのに、細胞内シグナル伝達経路 (Reelin/Dab1 経路) には異常が認められないという結果になりました。これは、一体、どういうことなのでしょうか?

800px-dab1_signaling_pathway4

図2 Reelin/Dab1 シグナル伝達経路 https://bsd.neuroinf.jp/wiki/Dab1

図2にも描かれているように、Reelin/Dab1 シグナル経路は、その下流でインテグリンの活性化を制御しています 。インテグリンは、細胞がコラーゲンやフィブロネクチンなどの細胞外マトリクスに結合する時に働く接着分子で、細胞外マトリクスに結合する必要のない時には不活性化状態 で存在します(図3の真ん中。頭を下げて、うな垂れてるように見えるインテグリン)。Reelin/Dab1 シグナル経路の活性化によりインテグリンにシグナルが流れると、インテグリンはコンフォーメーションの変化を起こし(図3の右側。細胞内から発破をかけられて奮い立っているインテグリン)、細胞外マトリクスに結合できるようになります。このように、細胞内からのシグナルによってインテグリンが活性化するシグナルは inside-out signalling と呼ばれ、細胞接着・細胞移動 (運動) ・細胞外マトリクスの構築などに関与しています。逆に、インテグリンがコラーゲンやフィブロネクチンなどのリガンド分子に結合すると細胞内にシグナルが流れますが、これは outside-in signalling と呼ばれ、細胞極性・生存・増殖・細胞骨格のリモデリング・遺伝子発現などに関与します。図2には示されていませんが、インテグリンの種類によっては Reelin 受容体と複合体を形成することで、Reelin が直接インテグリンに結合し outside-in signals を細胞内に入力するようです。

integrin-inside-out-signaling_nrm2871-i2

図3 インテグリンの活性化 Nature Reviews Molecular Cell Biology 11, 288-300 (April 2010)

そこで、著者たちは、患者細胞の Reelin に対する応答性の低下にインテグリンが関与する可能性を考えました。まず、細胞の形を調べたところ、健常者に比べて患者の細胞は、小さくて、やや丸みを帯びていて、健常者ほどがっしりと安定した細胞骨格をもっていないことがわかりました。また、細胞の形に関しては、健常者の細胞も患者の細胞も、Reelin に応答して形態を変化させることはありませんでした。次に、focal adhesion (接着斑) の数と大きさを調べました。focal adhesion は、細胞外マトリクスに細胞が接着しているポイント (点・斑) で、インテグリンを起点として、細胞内に様々な分子が集合することで形成される接着装置です(図4)。また、インテグリンの活性化により focal adhesion の形成が制御されることが知られています。この装置には細胞骨格 (アクチンフィラメント) がリンクしているので、focal adhesion を起点として、細胞が突っ張って形を保っているイメージです。ツイスター (Twister) というゲームをご存知でしょうか(図5)。「赤のサークルに右手」「青のサークルに左足」とスピナーの指示に従って手と足を動かしていくゲームですが、サークルマットに接触している手や足を focal adhesion と考えてみて下さい。マットについた手と足を支えに体勢を維持する様子を想像してみると、細胞外マトリクスの中で focal adhesion を支えに形態を保っている細胞の状態が実感できるかもしれません。掌や足の裏をマットにぴったりとくっつけることができれば、指1本で体を支えるよりも安定に存在できますし、右手と右足だけより両手両足をついた方が安定です。これと同じように、 focal adhesion のサイズは大きい方が、 focal adhesion の数は多い方が細胞を留める力が強くなると考えられます。また、体を動かそうとすると、マットに付いた手や足のどれかに重心を置き、自由になった残りの手足を動かして移動すると思いますが、細胞が動く時も同じです。 focal adhesion で一部を固定しておいて動きます。ずっと一箇所が固定されたままだと動いていけませんので、細胞の移動にしたがって、focal adhesion はつくっては壊れ…を繰り返します。特に、細胞が移動する方向の先端部で多数の focal adhesion が形成されます。

adhesion-complex

参考) http://www.reading.ac.uk/cellmigration/adhesion.htm

ツイスターゲーム:マットに接触している手と足が focal adhesion のイメージです

…というわけで、著者たちは、細胞の先端部の focal adhesion の数とサイズを測定した結果、健常者よりも患者で focal adhesion の数とサイズが減少していることを明らかにしました。また、Reelin で刺激した時、健常者の細胞のfocal adhesion の数とサイズは増加しましたが、患者の細胞では減少することがわかりました。この結果を得て、ようやく、Reelin に応答しなかった患者細胞の原因らしき現象に到達しました。健常者の神経細胞は、Reelin により、多数の、そしてサイズの大きな focal adhesion が形成されるので、動きが遅くなるのですが、患者の神経細胞は Reelin に応答して 適当なサイズの focal adhesion が十分な数、形成されないので、Reelin に応答して運動能が低下しないと考えられます。focal adhesion はインテグリンによって制御され、また、インテグリンは Reelin/Dab1 シグナル伝達経路の下流で制御されることから、統合失調症患者ではインテグリン経路に何らかの異常がある可能性が予想されますが、詳細は不明です。今回の実験系では、培養皿の中での細胞の動きを見ているだけなので、「動きが多少遅い」あるいは 「Reelin により動きが遅くならない」というアウトプットでしか検出できておらず、統合失調症との関連がピンときません。しかし、お皿の中ではささやかな異常であっても、生体の中で Reelin に応答して、ちょうどいい具合の focal adhesion が形成されず、細胞の動きにちょっとした異常が生じることは、実は重大な問題なのかもしれません。ツイスターゲームでバランスを崩して尻餅をついてしまうように、神経細胞がズッコケた結果、脳の構造や神経回路が正常につくられず、美しいフィヨルドの夕暮れに”世界の終わり”を感じてしまう…統合失調症の精神世界をつくる一つの要因になっている可能性があります。

関連記事